
向井 百合子
アロマセラピーサロン縁~en~
代表
“今ここ”に全力を投げ込んで
MUKAI YURIKO
諫早の隠れ家的美容サロン
長崎県諫早市の閑静な住宅街に佇む「縁〜en〜」 ここはアロマセラピスト向井百合子の城であり、鑑賞ではなく体感の劇場だ。
2011年11月に開業。オイルトリートメントの他、自然素材のみで作った玄米ハーブカイロの販売、着付けセラピーも展開している。理念は「お客様に感動と驚きを与え、笑顔でお帰り頂くこと」。文字にすると軽やかだが、実行すると難しい。彼女は毎日、笑顔のラストシーンを撮るためだけにフィルムを回す監督であり、主演俳優でもあるのだ。
「癒す側」へ
向井の行動力には驚かされる。短大卒業後は空港のグランドスタッフとして就職。次第に航空会社のCAにあこがれるようになり、退職してCAを養成する京都の専門学校に通い、なんと第一志望の航空会社に就職する。退職後は広告代理店に入社し、結婚もした。
しかし、順風満帆とはいかなかった。広告代理店の業務と家庭内の摩擦に挟まれ、離婚。暗い雨の羽田を背に彼女が抱えていたのはスーツケースと疲弊した神経だけだった。地元へ戻り、ふと受けたアロマトリートメントで、頬を這うオイルの匂いが胸腔を満たす瞬間、彼女のスイッチは反転する。「癒される側から、癒す側へ向かいたいと感じました。その施術が私の原点だったんです」
日本アロマコーディネーター協会、IFA国際アロマセラピスト連盟、九州マタニティケアセラピスト協会…資格取得は武器というより、脱皮の儀式といえよう。その間、震災被災地でのボランティア・マッサージ、犬猫譲渡会、着付け教室。文字通り利他を実践するその現場で、彼女自身も救済されていく。開業から15年。延べ3,000人を超える身体に触れ、笑い声と涙を混ぜた乳白色の時間を生成してきた。
ワンオペだからこそできる
現在の主軸は「美力向上ダイエットプログラム」。耳触りの良いマーケティング用語に聞こえるが、核心は神経回路の配線図を書き換える“未病革命”にある。
香りは脳を直撃し、手技は筋膜と精神の境界線を曖昧にする。施術台で眠りに落ちる客の横顔を見ながら、向井はタオルを掛け、言葉を飲み込む。語るよりも聴き、聴くよりも触れる。その沈黙の連鎖が終わるとき、客は頬に血色を取り戻し、心と身体が癒やされ、来店したときとは別人のような笑顔で玄関を出る。「自宅サロン」という装置は“家に遊びに来たような感覚”で警戒心を溶かし、落ち着いたリズムでリピートを呼び込む。
向井ひとりで完結するワンオペレーション、だからこそ、客に寄り添い、徹底的なおもてなしとケアにこだわることができる。
生きているだけで奇跡
弟を病で亡くした2025年の始め、彼女は自宅のベランダで夜明けを待ちながら誓ったという。「自然の力と人の治癒力を信じ、健康で輝く連鎖を拡散する」。目標は長崎・佐賀の女性たちの本来の美しさを取り戻し、健康で幸せな人生を送っていただくこと。ひとりの笑顔が家族を照らし、家族が地域を照らし、地域が世界を塗り替えるチェーンリアクションを増幅させたいのだ。
向井は若者へのメッセージにも語気を強めない。「生きているだけで奇跡、ということを知ってみるといいかもしれません。あなたが生まれてきた確率を数式で割り出したら多分、ゼロに近いと思うんです。だから怖がらずに“今ここ”に全力を投げ込んでみてほしい。信じた通りに現実は組み替わると思いますから」世界一高い日本の若年層自殺率という冷たい統計に、彼女は言う。「あなたは守られている。苦しくて辛いときこそ、自分を信じ切ることで必ず乗り越えられる。命は人生を楽しむために存在するから」
彼女の掌は、山と海の気配を孕んだ長崎の風のように柔らかく、逞しい。
向井 百合子
アロマセラピーサロン縁~en~ 代表
1988年長崎外国語短期大学卒。1991年日本エアシステム株式会社入社、1998年退社。同年、全日本着装コンサルタント協会認定着付け講師の資格取得。2008年JAA日本アロマコーディネーター協会認定アロマセラピストの資格取得。2011年自宅にてアロマセラピーサロン開業。2013年IFA国際アロマセラピスト連盟認定アロマセラピストの資格取得。2014年マムレディースクリニックにて産後トリートメントのサービス開始。2015年JAA日本アロマコーディネーター協会認定インストラクター資格取得。2016年九州マタニティケアセラピスト協会認定マタニティケアセラピスト資格取得。