
川内 辰雄
株式会社リンガーハット
取締役
好きなことを極めろ
KAWAUCHI TATSUO
「長崎の食」で海を越える会社
「長崎ちゃんぽん専門店リンガーハット」。日本列島を縦走する国道沿いの黄色い看板を知らない者は少ない。創業は1962年、現在540名を超える社員を抱える、長崎を代表する大企業だ。外食を通じて「長崎の食」を全国、そして海外へと放つのが彼らの事業である。
その創業六十余年の船を率いる舵手が、株式会社リンガーハットの取締役、川内辰雄。アポロ11号が月面着陸した1969年に生まれた男は、高校卒業後にアルバイトとして入社し、いまや年商約500億円規模のチェーンの中枢を担う。
半世紀余の軌跡
リンガーハットの歴史は1962年、鍛冶屋町の小さなとんかつ店「浜勝」から始まる。創業家・米濵家の兄弟は、1974年に後にリンガーハットとなる長崎ちゃんぽん専門店1号店をオープンさせた。1985年に100号店、1998年に300号店、2019年には羽田空港で1000号店が看板を灯す。
2008年、過剰出店とコスト高が臨界点を越え、約50店舗を閉じる決断が下された。「チェーンは細胞です。悪い細胞は切り取るしかありません。ですが再生は必ずできる」当時商品開発部長だった川内は、そう言って矢面に立つ。
翌2009年、反転攻勢の旗印が三つ掲げられる。一つ、全野菜の国産化。二つ、国産野菜を使うことでのコスト上昇を自社努力とともに、お客様へもご負担いただく価格設定の挑戦。三つ、ショッピングモールのフードコートエリアへの進出。特に後者は革命だった。声が交差するフードコートで行列を生かすには、速度がすべて。そこで“1個づくり”オペレーションが誕生し、1時間40杯だった調理能力は120杯へ跳ね上がったのである。
垂直統合という強み
そんなリンガーハットの強さは、理念がアルバイトにまで浸透する“濃度”だ。社員の多くがアルバイト出身、平均勤続年数は外食平均を大きく超え、店長離職率は一桁台を誇る。川内自身、「アルバイト経験者が幹部となる組織風土」が醸成されていることを強みと語る。年4回の採用制度を通じ、現場を知り尽くした人材が幹部層を形成することで、「本社」と「現場」を隔てる垣根は驚くほど低い。「仕事は人と人の関わりだ」。川内はこの一句を現場ミーティングで骨の髄まで叩き込む。
その延長線に、サプライチェーンの垂直統合がある。佐賀・京都・富士の自社工場が麺とぎょうざを生み、契約農家のキャベツや有機きくらげが朝礼と同じテンポで店舗に届く。2009年の国産化宣言は“安心”を先取りしただけでなく、作り手と食べ手を一本のレールで接続する物語装置になった。皿に顔を近づければ畑の土色が見える。そんな“透視度”を国内グループ全体約650店舗で実現している。
好きなことを極めろ
川内の視線はすでに2030年に向いている。「Ideal Dining宣言 あなたの理想の食卓へ」。それは量でも価格でもなく、“体験”を競う時代への布告だ。卓袱料理がそうだったように、異文化は皿の上で交わり、新しい言語を生む。つまり郊外ロードサイド店舗の新モデル開発や、省資源とCO₂削減を両立させる未来型店舗の設計、かつてフードコートで培った“効率と品質を両立させるノウハウ”を、次世代のイノベーションへと昇華させようとしているのだ。
一方、個人としての川内は「若いうちは人の話に惑わされず、自分の好きなことに打ち込んでほしい」と語る。仕事の本質はあらゆる分野の“作業”の連続であり、そこに人間関係という“変数”が絡むからこそ難しくなっているに過ぎない。ならば、まずは手を動かし、失敗を恐れずに挑戦し続けよということ。その口調は飾りなく真摯であった。
少子高齢化や商業施設成熟という社会構造の変化を前にしても、「一杯のちゃんぽん」に込める情熱と、「現場第一」の組織文化が失われることはないだろう。リンガーハットはこれからも、好きだからこそ極められる味づくりの深化を求める。人々の「おいしい笑顔」を未来へ紡ぐため、今日も厨房の炎は絶えず揺れる。
川内 辰雄
株式会社リンガーハット 取締役
1969年生まれ。1987年アルバイトから株式会社リンガーハット入社。西日本営業部長、商品開発部長を経て2014年執行役員。2023年より浜勝株式会社代表取締役社長兼務。国産野菜100%政策やフードコート型業態改革を牽引し、V字回復に貢献。現・リンガーハット取締役。