衛藤 勇

長崎空港ビルディング株式会社
代表取締役社長

一人では何もできないことを知る


ETO ISAMU

長崎の空を半世紀見守ってきた空港ビル会社

長崎県の中央に位置する大村湾。長崎空港ビルディング株式会社は、そんな長崎の美しい海と空を半世紀にわたり見守ってきた、代表取締役社長・衛藤勇が率いる空港ビル会社だ。

ターミナルビルの維持管理、地上ハンドリングと航空旅行事業、そして物販飲食。三本柱を1社で担う体制は全国でも稀である。滑走路は3,000m、気象に翻弄されにくい地形と相まって、運航の安定感は折り紙付きだ。

空の仕事に携わる者として

長崎空港自体は開港1975年だが、実のところ大村湾が持つ航空史はそれ以前に遡る。1923年に海軍航空隊として大村飛行場を開設。その後、1941年、大村湾沿岸に海軍第21航空廠(航空機工場)が開設され軍用航空の拠点となった。戦後、旧軍飛行場跡地にて大村空港の建設が進められ、1959年5月に大村空港が開港し、県民待望の空の便が実現。さらにジェット時代に対応できる大型空港の需要増加に伴い、1975年、世界初の海上空港となる長崎空港がついに開港。その後1980年には滑走路が3,000mに延伸され、今では国内各線のほか、中国や韓国といった国際線も就航している。

大分に生まれ福岡・久留米で育った衛藤は、1986年に全日本空輸(ANA)へ入社。赴任先の大阪空港のランプサイドで、新米指揮官として何便もの飛行機の到着から出発までを見届けた。緊張で眠れぬ夜、翼が衝突する夢を何度も見た。安全な経路にもかかわらず、ぶつかってしまうと思い、停止信号を送り機体を立ち往生させそうになった苦い記憶もあるという。「飛行機が止まってしまうと、再び動き出すまでに多大な労力がかかってしまいます。あのときは未熟さを叱られましたが、自分が危ないと感じたら止めるしかありませんでした。今でも大切な思い出になっています」とはにかむ。

その後は広報やパイロットの勤務計画など、裏方に10年以上携わる。羽田ー三宅島路線の廃止を住民に告げる苦渋も味わった。「本来、東京からフェリーで向かうと半日かかるような距離です。それが飛行機だと40分程度で到着する。島民の方々にとって飛行機が飛んでいること自体が、島で生活する上で心の支えになっていたはずです。様々な事情が何層にも重なり廃止をする判断にいたりましたが、数値では決して測れない重い決断になりました」

航空輸送の尊さを胸に刻み、2023年、衛藤は長崎空港ビルディングの舵取り役となる。

課題はみんなで解決する

衛藤が就任してまず驚いたのは、海と山に抱かれた自然の美しさだったという。一方でアクセスの課題も痛感した。さらに築50年となるターミナルビルは歴史的意匠を色濃く残すが、法令対応や老朽化など物理的な課題があちこちにある状態だ。待ち時間を減らすような工夫を施した保安検査場の改修など、より多くのお客様に快適にご利用いただく工夫を重ねている段階だと衛藤は言葉を重ねる。

そんな長崎空港ビルディングのユニークさは人材の循環にある。例えば、ランプで機体を誘導していた社員が、数年後には旅行商品の企画で添乗員を務める。現場で気づいた改善点が、施設改修や商品づくりに即座に反映される仕組みだ。旅の始まりから地域周遊までを一気通貫で支える柔軟さは、三事業を一社で営むからこそ生まれる相乗効果である。

自分一人では何もできない

地域に貢献し、共に成長できる空港を目指す。そのために衛藤は社員に3つの合言葉を示した。「お客様の安心と笑顔のために」「成長と幸せを地域とともに」「長崎の魅力を空港から」。これらは社外へのスローガンではなく、内なる羅針盤だ。

具体的なイメージはすでにできている。例えば、従来の添乗員付き旅行事業を見直し、「地域創生」を主眼とした新たな旅行事業への挑戦に舵を切ることで、交流人口の拡大・地域活性化を図る。つまり長崎の食や歴史・文化を肌で感じる機会を創出するのだ。地元の関係者と連携・協力することにより、地域経済の自律的活性化をシステムとして後押しする。発着客の受け入れ拠点から、地域の未来をつくるクリエーション拠点へと、空港を再定義しようとしているのだ。

衛藤は言う。「飛行機のドアを閉めて、トーイングカーで牽引して、エンジンを出力して適切なタイミングで離陸する。動作一つひとつにその責を負っている人間がいます。そしてこれらの動作は、私一人ではできません。僕自身、これまで多くの仕事を経験し、努力や勉強もしてきたけれど、ほとんどのことは周りの人の力があって初めてできたことです。だから、どうすれば周りの人が力を発揮できるか、それを一つにまとめられるかを意識してきました。「巻き込む」というよりは、それぞれの分野の「プロ」が100%の力を出せる環境を整え、皆が同じ方向性を持って課題解決に向かうことが大切です。

自分の知らない世界を相手が持っていると知り、その人たちと連携することで、もっと良いものができる可能性を見出すこと。これが本当の「プロ意識」であり、知識を活かすことにもつながります。年齢や役職に関係なく、多様な人々がそれぞれの「知らない世界」を持っている。それを尊重し連携していくことが、どんなことにも対処できる力になるはずです」

衛藤 勇

長崎空港ビルディング株式会社 代表取締役社長

大分県出身。九州大学法学部卒業後、1986年に全日本空輸㈱へ入社し、大阪空港でグランドハンドリング業務を担当。以降、広報対応やパイロット労務管理など裏方業務を中心に40年近いキャリアを積み、2023年より長崎空港ビルディング株式会社の代表取締役社長に就任。