
森 純幸
森果樹園
代表
汗を流して自然を感じてほしい
MORI SUMIYUKI
100年続く長崎の果樹園
百年を越えて息づく果樹園。その草木一つひとつに、長崎の風土と家族の想いが宿る。枇杷(ビワ)をはじめ桃、柑橘類の栽培から販売、さらには加工品による一年を通した商品供給まで、自らの手で一気通貫して行うのが、森果樹園だ。ここには小規模ながらも確かな誇りがある。代表を務める森純幸は、祖父の跡を継ぐ4代目にして、自らも青果市場を経て就農を決意した物語を胸に抱きつつ、今日も畑と向き合う。
果実への情熱を灯し続ける一族
園の始まりは一世紀余り前。曾祖父が斜面を拓き、長崎特有の温暖な気候と水はけの良さに目を留めたのがすべての起点だった。その情熱は父へ、そして今4代目の森へと受け継がれている。枇杷への思いが人一倍熱い父がいたからこそ今がある、と森はほほ笑む。
幼き日から刻まれた「いつかは継ぐ」という決意。高校卒業後、祖父の勧めで農業経営大学校に入学、その後地元長崎の青果市場にて5年間従事した経験は、他の生産者の果実を観察し、自身の理想を育む時間だった。市場に並ぶ一粒一粒から、もっと高く評価される枇杷を自分の手でつくりたいという炎が燃え上がる。その炎を胸に、就職先を離れ、家業に立ち返った。1998年のことであった。
しかし自然は厳しい。2016年に記録的な寒波が到来し枇杷が凍死、収穫量は半減した。途方に暮れる中で導入を決断したのが、簡易ハウスによる防寒対策だった。この経験は「自然との共生とは備えを怠らぬこと」を教え、異常気象が常態化する現代にあっても森果樹園の根幹を支えている。
出荷するのは“本当においしいもの”だけ
森果樹園の強みは、味覚に妥協しない肥培管理と、家族だからこその暖かな連携だ。森は父母、妻、3人の息子が支える小さな組織は、繁忙期に十数名を迎えてもなお、畑に笑い声が絶えない。「自分が本当においしいと思えるものだけを出荷します。お客様が自分の果物を食べてもらって、笑っていただきたいから。だから土づくりから収穫に至るまで、気を抜くことはありません」と胸を張る。
そして規格外品を破棄せずに加工品に回すという発想は、地域資源の有効活用と通年供給を実現する智恵の結晶だ。ジュースやジャムに姿を変えた果実は、新たな価値をまとって消費者のもとへ届けられる。これは循環型農業への小さな一歩でもある。
農業には、どうしても人間がコントロールできない厳しい一面がある。だが、木々の間を吹き抜ける風の匂いを知り、実を結ぶ瞬間の手応えを味わえば、苦難は歓喜に変わる。森果樹園が示すのは、伝統と革新が織り成す一本の道である。森果樹園が光らせている枇杷の黄金色は、先人と未来をつなぐリレーのバトンの色と言えよう。
自然を肌で感じてほしい
そして今、森は次なるステージへ視線を移す。気候変動による温暖化・異常気象の進行を見据え、耐寒性・病害抵抗性に優れた枇杷の品種や、柑橘類と相性の良いアボカドなどの熱帯果樹栽培にも着手している。これは100年先、200年先の果樹園の継続を見据えた先見の明である。
家族の5代目・長男が既に跡を継ぎ、息子夫婦によるカフェ併設型直売所の構想も進む。収穫体験プランや学校との連携など、農業と地域・観光をつなぐ仕掛けは、森果樹園の未来をより豊かに彩るだろう。
森は語る。「まずは一度、畑を覗きに来てほしい。自然の中で汗を流して、自分の手をかけた果実が実を結ぶ喜びを、ぜひ肌で感じてほしいです。季節の移ろいを肌で感じながら働く充実感は、机の上では感じることはできませんから」農業は過酷さと同時に、自らの手応えを確かに返してくれる仕事である。
長崎の風土と家族の絆が育んだ百年の歴史を背負い、森は今日も果樹園の土を踏みしめる。未来への一歩を、確かな足取りで刻みながら。
森 純幸
森果樹園 代表
1973年長崎市生まれ。祖父の薦めで長崎県立農業経営大学校へ進学し、1993年卒業。同年、長崎大同青果に入社して5年間流通を学ぶことで市場を知り、1998年に森果樹園4代目として就農。枇杷に桃を加えた多角経営で品質を磨き、地球温暖化を見据えてアボカド栽培にも挑戦する革新派。2014年には果樹部門にて長崎農林業大賞を受賞し、地域農業の旗手として注目される。