加城 一成

協和商工株式会社
代表取締役社長

柔軟に進化し続けよ


KASHIRO KAZUNARI

佐世保から脈打つ社会の血管

生き物の体内を覗くと、筋肉は躍動し、神経は閃き、血がめぐる。どこかで誰かが食べたコロッケ一個のカロリーが、人の身体を今日も動かしている、など思うと、「食」を扱う会社とは、まさに社会という巨大な生体の血管そのものだ。

長崎県佐世保市に本拠を置く協和商工株式会社は、まさにその血流を70年以上支え続け、社会の活性化をおこなってきた。創業時は断熱材を扱う油脂工場だったが、いまや売上の90%以上を業務用食品が占め、病院・学校給食・自衛隊・レストランへと、冷凍車ならぬ「血管」を四方八方に伸ばしている。

その血流の拍動を担うのが、二代目社長・加城一成氏だ。1953年生まれ。その語り口には現場を知る身体感覚が滲む。

クラゲ型組織

協和商工の歩みを解剖すれば、鮮やかな三層構造の筋束が見える。第一層は、地場密着の問屋業。支店や営業所が倉庫を抱え、佐世保・長崎・佐賀・宮崎で地域の食卓を守る。第二層は、加城自身が30年前に唱えた「問屋無用論」チーム。全国に拠点を持たず、ITと外部物流を束ねた独自システムを運用し、12人が年間40億円を売り上げる。第三層はキャッシュ&キャリー型の業務用スーパー。すべてを貫く動脈が、現場を知る加城の将来を先取りしたパラダイムシフトの精神だ。「メーカーは休んでいい。うちが365日動かす。そんなイメージです」と、逆転の発想で川上と川下をひっくり返し、メーカー120社を巻き込むサプライチェーンを築いた。

なかでも痛快なのは、人も倉庫も「持たない」物流設計だ。外注倉庫に商品を眠らせ、受注データが入ったその瞬間に目覚めさせる。生物にたとえるならば、まさに“外骨格”のないクラゲ型組織と言えよう。固定費という硬い殻を捨て、環境変化に合わせて形を変える柔らかさこそ、加城の神経系が全身に行き渡った証である。

学生時代「継ぐ気はなかった」加城は、ニチレイで5年間・4度の転勤を経験し帰郷。弟(現専務)と“二人三脚”で会社に入った。

改革期。社長・専務・常務の三人は毎週日曜に会社へ集まり、夜10時まで議論したこともあった。「妻からは浮気しているのではないかと、疑われることもありましたね(笑)」と加城は語る。

「やりがい・社会貢献が我社の旗印」

現在、協和商工が注力するのは「人材を人財へ」と育む社内文化だ。挨拶と礼儀を徹底し、65歳を過ぎても嘱託で働く社員が二十名超。最年長は82歳の支店長である。「仕事にやりがいを感じ、社会貢献したい人は、年齢に関係なく一緒にやりましょう」と器を広げる姿勢は、働きたいという人の“思い”を汲み取る、ひとつの福利厚生なのかもしれない。

社会貢献にも強い靭帯が通る。本業を最大限に活かせる社会貢献として「一般社団法人フードバンク協和」を設立。年間35トン供給、長崎県136か所の子ども食堂へ届ける。「例えば40gの規格になっているゼリーなのに、39gしかないものを作ってしまった。この場合、たとえ100ケース作ってしまっても、すべて廃棄になるんですよ。そういった、本来人様に届けるべきだったものを、我々のネットワークで、必要なところに配っていく。シンプルに、自分たちができることを地域に提供して、喜んでもらいたいんですよ。子どもたちから寄せ書きをいただくと、やって本当によかった、これからも続けようって思いますね」と加城は語る。さらに55周年記念でカンボジアに小学校を建設。社員が毎年8名ずつ教師として派遣される。初陣の児童が、大学卒業を経て母校の教壇に戻ったという“再生”のエピソードは、まるで骨が再石灰化する生体の神秘そのものだ。

社内にはホールディングスを設立し、将来のM&Aに備える一方で「相手のロイヤリティが見えない買収はしない」と胸を張る。安易な拡大より、共に汗をかいた関係に血を通わせてから資本を組む。「相利共生」が企業生態系を長命にする、と加城は身体で知っているのだ。

環境はつねに変化する

加城は若い世代に、こう語る。「我々のような食に関する仕事は、人に嬉しいことを届けることなんです。誰かがおいしいと笑ってくれる、それだけでもう十分価値があるんです。継続するためには、同じやり方をずっと続けるのは難しい。だからこそ、つねに自分の考え方・やり方を柔軟に変えていく姿勢を持つことが大切だと思います。そして仕事の時間はとことん集中して、終わったらしっかり遊ぶ。その“けじめ”も持ってほしいです。」

食品ビジネスは善意を一口ずつ社会へ巡らせる仕事だ。まるでサミュエル・ウルマンの「青春の詩」にある“燃える情熱”のような、いつまでも走り続けたいと思う意志に、明日の味が詰まっている。未来は君の皿の上にあるのだ。

加城 一成

協和商工株式会社 代表取締役社長

1953年生まれ。一橋大学商学部を卒業後、株式会社ニチレイに入社。1981年、協和商工に入社し、1990年取締役専務に、1994年10月代表取締役社長に就任、現在に至る。公職としてNPO法人フードバンク協和の理事、農林水産省関係団体である一般社団法人日本外食品流通協会の副会長、三井物産の関連会社である三井食品株式会社の「九州月曜会」会長等を務める。