
小原 嘉元
株式会社和多屋別荘
代表取締役
動いた人間にこそ賛否が注がれる
KOHARA YOSHIMOTO
歴史の重みと改革の活気を醸し出す旅館
風薫る嬉野の山懐に、ひときわ優雅な佇まいを見せる、和多屋別荘。創業から74年、老舗旅館という言葉では足りないほどの懐の深さを誇る。3代目社長・小原嘉元は、その歴史と土地の価値を再定義するべく歩みを進めている。
小原は祖父・嘉登次氏が戦後まもない1950年に「和多屋旅館」として創業し、以降、大広間の新設や専用風呂の導入といった斬新なアイデアで流れを受け継いでいる。旅館の扉をくぐるとき、私たちは彼の視線の奥に潜む“再生”の物語と出会う。
破綻寸前の皇室御用達旅館をどのように立て直すか
和多屋別荘の歴史は、創業者・小原嘉登次氏が1950年に木材業から転身し、温泉街の一角に「和多屋旅館」を開いたことに始まる。嬉野川を挟むおよそ2万坪の敷地に、日本を代表する建築家の黒川紀章が設計したタワー館や江戸時代の長崎街道を再現した花鳥苑、小露天風呂付の部屋を備えたみやび館といった魅力的な5つの棟が佇んでいる。過去には昭和天皇が宿泊したり、竜王戦の会場として使用されるなど、その風格はお墨付きだ。しかし、和多屋別荘は2度の経営危機を経験することとなる。そんな家業に戻り舵を握ることになった小原の歩みは、波乱に満ちていた。
大学を中退した小原は、一時は家業に身を置くも希望を見出せず退職。一時ウェブ制作会社を興したものの結果が出ず、旅館再生コンサルティング会社で1年間の修業を経て、独立を果たす。約10年、全国70軒余りを渡り歩いた。36歳で帰郷し、債務超過だった故郷の宿に再び灯をともす決意を固めた小原は、就任早々「旅館業の枠にとらわれず、新しい価値を創造する」と宣言。積み重ねたノウハウを元に“脱・一泊二食”という業界の常識を覆す改革に踏み出したのである。
2020年には旅館の一角に企業向けサテライトオフィスを設けた。計画から実現まで約1年かかったという。温泉と仕事…全く相容れないように思われたが、現在は15社、約50名が働く場所になった。生産性向上と癒しを両立させるワーケーションモデルは全国の注目を浴び、メディアで老舗旅館の異端児と評されるまでに至った。湯の温もりがアイデアを解きほぐし、「旅館に通う」働き方を生む…そんな未来図を彼は誰よりも早く描いていたのだ。
嬉野版三層ストラクチャーとは
「嬉野には温泉1300年、お茶文化500年、肥前吉田焼400年という三大文化が備わっている、全国的に見ても希少な土地です。私はそれが旅館経営の核であることに気づきました」と語る小原、その熱量は高い。
つまりこうだ。嬉野の特徴は、下から一層、二層、三層という形で構成されている。第一層が“普遍的価値”。1300年の温泉、500年の嬉野茶、400年の肥前吉田焼。これらは嬉野が積み重ねてきた揺らがないものだ。第二層は“圧倒的優位性”。小原はこれを2万坪の豊かな土地として提示する。そして第三層は、その土地の上に成り立つ旅館、サテライトオフィス、日本語学校といった“事業・商品”を指す。嬉野版三層ストラクチャーと名付けられたこの考えは、古き良き旅館の姿を守るだけではなく、地域資源を活用する装置としての旅館像を鮮明にする。だからこそ小原は自らを“2万坪の管理人”と称する。
旅館業に限らず、地域の茶農家や窯元、さらには文芸の世界とも結びつけ、2022年には民間旅館として異例の三服文学賞を創設。書店、カフェ、セレクトショップ、さらには世界的なパティスリーやフレグランスブランドとのコラボ店舗など、館内は小さな温泉街のように多彩な文化体験の場として再編されている和多屋別荘。「新しい事業についてスタッフに説明しても理解されないことが多いのですが、それで構わないのです。私の仕事は、この三大文化を次の世代に伝えることにあります。旅館はその文化の記憶を残すツール。だからこそ、旅館で新しい改革を行い続けて、旅館が未来にも残っていく必要があるんです。逆に言うと理解され過ぎてしまったら、私はお役御免ですね」小原は快活にそう話す。
動いた人間にこそ賛否が注がれる
「これからの旅館は地域と共存共栄していく存在でなければならない」小原はそう言い切る。そんな未来を見据えた彼の想いは、アジアの嬉野という概念にまで広がっている。人口減少と都市集中が進むなか、地域に根ざす老舗旅館こそ、ローカルOS(温泉・お茶・焼き物)を活かし、新たな価値を創造するハブとなるべきだと言う。
「動いた人間にしか賛否は注がれませんから。まずは動き、その立ち位置の本質的な価値を、多角的に見極めていく。遠くを見つめて口を動かす前に、まずは目の前の目的地に向かって足を動かしていくことですね」 自らの立ち位置と場の価値を深く理解し、主体的に動くことで見える景色がある…そのシンプルな真実を、小原は熱く語りかける。
3代目が紡ぎ出すのは、古き伝統を守りながらも、常に革新を続ける旅館経営の新しい物語。その歩みは、嬉野の未来を照らし、訪れるすべての人々に驚きと感動を与え続ける。
小原 嘉元
株式会社和多屋別荘 代表取締役
1977年生まれ。嬉野温泉「和多屋別荘」創業家3代目。大学中退後1999年に家業へ入るが低迷を憂い退職。その後10年ほど全国70軒超の旅館再生を担う。2013年36歳で帰郷し社長就任。「旅館業の枠を超え新しい価値を創造する」を掲げ、老舗を複合施設型へ大胆に変革しV字回復を実現する。