
本村 秀昭
公益社団法人西部霊苑
代表理事
つながりを感じてほしい
MOTOMURA HIDEAKI
小江原に佇む穏やかな霊苑
長崎市の小江原。海と山の境界線が溶けあう街の高台で、朝日の角度まで計算された東南向きの敷地に、公益社団法人西部霊苑は静かに身を横たえる。車椅子の幅を測り直した参道、20カ所に点在する水汲み場、そして管理棟の奥で瞬きを続けるAED。代表理事・本村秀昭は「安心」という言葉を、敷地19,282平方メートルの空気に行き渡らせる男だ。
週に2人のスタッフと回す霊苑。葬送ビジネスの常識からすれば「薄氷の経営」のように見える。だが彼は笑いながら言う。「運営はね、なんとかなるもんです」
その余裕が生まれる理由が、そこにあった。
墓石の重み
本村の経歴は興味深い。福岡大学を卒業後、家業である建築業に従事。長崎の街の発展に、現場から直接寄与できる建設業を誇りに思い、現場で汗をかく毎日だった。30代で取締役、40代で代表取締役に就任した。しかし順風満帆とは行かなかった。弟が突然、大企業に行くと言い残し家業から離脱したのである。会社は少数精鋭だった。本村は今後について深く考える必要に迫られた。
会社を整理し、父が理事を務めていた西部霊苑へ。石材店に頭を下げ、墓石の寸法と宗派ごとの戒名の刻み方を一から学び、「お墓ディレクター」1級のバッジを胸に付けたのは5年前だった。全国でも700名足らずの資格保持者のひとりとなった。
けれど決定的なエピソードは、母と父を相次いで失った十数年前にある。火葬場の灰がまだ熱を帯びていた頃、彼は自分が売る「石」に、遺族が投影する感情の重量を初めて体感した。石は沈黙している。だが、そこに宿る物語は、時に人間の声より雄弁だと知ったのだ。
霊苑もサービス業
現在、契約者は1,300名を越える。彼らが「365日24時間、気持ちよくお参りできること」を旗印に、霊苑の門は休みなく開かれる。接客と事務を兼ねる女性スタッフが常駐し、独りで訪れる遺族を迎え入れる…「人がいるだけで安心するでしょう?」代表はそう言う。長崎の多くの霊苑が予約制の鍵をかける中、彼は鍵を外したまま朝を待つ。不便を潰し、花を絶やさず、Web広告で半径5km圏の住民へ情報を届ける。要は「霊苑もサービス業」。建設業で培ったマネジメント思考を石の上に重ねるのだ。
西部霊苑が珍しいのは、区画造成から墓石工事まで一括で請け負う体制だ。施工の品質を知り尽くす代表にとって、土の硬さも排水の角度も「語りかけてくるデータ」だという。そこに宿るのは、墓地を単なる最終地点ではなく「家族史のサーバー」に変換するという野心。墓碑に刻まれた「ありがとう」の二文字が、次世代へのパスワードになる日まで、石はアップデートを続ける。
つながりを感じてほしい
樹木葬、海洋散骨。形を変える供養の潮流を前に、代表は「永続性」という言葉を何度も噛みしめる。石を選ぶ人も、海を選ぶ人も、根底にあるのは「つながり」への渇望だ。しかし墓参りという行為が持つ身体性、つまり手を合わせ、風を感じ、石に触れる行為…それを代替できるテクノロジーはまだ発明されていない。だからこそ彼は、東南向きの光を浴びながら、霊苑を「街の縁側」に育てたいと語る。
最後に若者へのメッセージを求めると、代表は少しだけ目を閉じた。「あなたが立っている場所の下には、数え切れない先祖がいる。その実感を、一年に一度でいい、思い出してほしい」西部霊苑。それは死者のアーカイブであると同時に、生者を未来へ押し出すスプリングボードだ。
石は冷たい。しかしそこに宿る物語は温かい。その温度差を溶接するのが、本村秀昭という男の仕事であり、彼が選んだ「生き方」そのものなのだ。
本村 秀昭
公益社団法人西部霊苑 代表理事
1958年長崎市生まれ。建設業で代表取締役を務めた後、2011年に公益社団法人西部霊苑代表理事就任。お墓ディレクター1級の資格を持ち、東南向きの霊苑で「365日24時間安心参拝」を掲げる。現在1,313名の会員を支え、石材から区画造成まで一括管理する珍しい運営体制で、供養の未来を模索する。