筒井 心

アースアクト株式会社
代表取締役

失敗もその後次第で武勇伝


TSUTSUI SHIN

社会の血液ポンプ役

夏の朝、屋根のソーラーパネルは太陽のまばゆい光をキャッチし、家じゅうに優しい電気を送り届ける。日中の発電で家庭用蓄電池を満たせば、夕暮れに街灯がともるころ、蓄えたエネルギーで家族の明かりがともる。

佐賀県佐賀市にあるアースアクト株式会社。彼らが扱うのは電気という名の「血液」だ。太陽光、蓄電池、オール電化。時代が求める“省エネ”を社会の血管へ送り込む、まさにポンプ役。それを指揮するのが代表取締役・筒井心である。端正な笑みの奥に、予測不可能な試練をくぐり抜けた者だけが持つ、熱いまなざしを隠している。

不撓不屈

電話工事業を営む家の長男として佐賀で生まれた筒井。携帯電話という時代の波についていけなくなってしまった家業を間近で見て、10代の筒井少年は「このままじゃまずい」と察知しつつも手出しできなかった。その無力感が、後の反骨心の種になったと筒井は語る。

26歳で独立を決意した。IHクッキングヒーターとエコキュートを抱えて、営業・経理・施工、ぜんぶ一人で。狂気と呼ばれても「だからこそやるんです」彼は言葉を続ける。ドラマは続く。創業5年目に義兄が急逝、その2週間後に父までも。そんな状況下、彼は背中で家族を支え続けた。夜、缶ビールのプルタブを開けても涙は出ない。ただ、時折脳裏に二人の笑い声が反響し、耳の奥を焦がしたという。「もっと話をしておきたかった。ただその当時、やはり一番辛かったのは母と姉だったと思います」筒井は呟いた。

やがて平成の太陽光バブルが崩壊。しかし、アースアクトは倒れなかった。むしろ骨を太くし、血を濃くした。理由は単純だ。彼らは数字より信頼を追ったのである。九州電力、そして国内メーカーとの提携。大組織の膨大な体温を借りつつ、訪販系企業が陥りがちな“急成長の腐臭”を正面から拒絶した。つまり社員としっかり向き合う時間を増やしたのである。辞表の紙切れは減り、代わりに「ここで働けてよかった」という声が増えた。スタートアップにはない重厚な静けさが、社内に漂い始めた。

「挑戦」の連鎖

現在筒井は九州、とりわけ長崎と佐賀の大地に根を下ろしながら、福岡へ、熊本へ、鹿児島へと枝を伸ばす。沖縄を除く全域で、省エネの緑色の火を灯すつもりだという。テレビ局との共同事業も進行中だ。映像は人を動かし、感情を電流のように走らせる。彼はそれを知っている。

こだわりは徹底した「挑戦」の連鎖だ。誰かが新しい提案を口にすれば、反対より先に「やってみよう」の声が飛ぶ。失敗は罰点ではなく、次の物語の起爆剤。筒井の過去が、それを社内文化へ変えた。エネルギー業界では珍しい“家族的な実験室”、これがアースアクトの内臓だ。スタッフが家族に胸を張れる会社をつくる。それは経営理論ではなく、いわば彼の祈りに近い。

失敗もその後次第で武勇伝になる

では未来は。彼は少しだけ目を細める。「急成長は望んでいません。着実に、お客様からの信頼を積み重ねていくことで、長く愛される会社でありたいと考えています。そして、社員がアースアクトに就職できてよかったと、家族に自慢できるような会社にしていきたいですね。それが私の目標です」

彼が座右の銘にしている言葉がある。「失敗も、その後次第で武勇伝になる」必要なのは、踏み出す勇気と、笑いながら傷を受け止める度胸だけなのだ。「人生は一瞬です。成功者とそうでない者を分けるのは、挑戦するかしないか、ただそれだけだと思います」

屋根に並ぶソーラーパネルが、有明海から昇る朝日に照らされる。佐賀の住宅や農舎で発電された電力は、まち全体を結ぶ小さな“エネルギーネットワーク”へと静かに注ぎ込まれる。昼間に蓄えられた電気は、夕刻の風に揺れるバッテリーにたっぷりと蓄えられ、夜には河畔の灯りや湯船を満たす熱源へと姿を変える。

ガスを手放しオール電化に舵を切った家庭では、パンを焼くオーブンも、お風呂の給湯も、すべてが自ら生み出した電力で賄われる。さらに、電気自動車が移動の足を担うと同時に駐車場では“走る蓄電池”として機能し、災害時には地域を支えるバックアップにもなるだろう。

これらは遠い理想ではない。佐賀市の静かな田園風景と街並みが、アースアクトによって、次世代へと続く確かな光となる…そんな明るい明日が、筒井の目の前にはある。

筒井 心

アースアクト株式会社 代表取締役

1978年、佐賀県生まれ。実家の電話工事業倒産を機に26歳でアースアクト株式会社を創業。太陽光・省エネ事業を九州全域へ展開し、挑戦を社是にしている。現在35名体制で信頼第一の経営を貫く。