今泉 今右衛門

今泉 今右衛門
十四代

自分が得た感性こそ信じろ


IMAIZUMI IMAEMON

佐賀で受け継がれゆく磁器の輝き

陶磁の里、有田。400年の時を越え、白き磁器は人々の暮らしに溶け込み、やがて鍋島藩の献上品として全国にその名を轟かせた。その地に息づく、今右衛門窯。十四代当主であり重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定された今泉今右衛門氏は、伝統の継承者であると同時に、時代と向き合う創造者でもある。

氏の一日は、荒神様の前に立つことから始まる。白磁の生地に描かれるのは、書道の墨で描く「墨はじき」の技法。ニカワが絵具をはじく白抜きの文様は、微細な表情を浮かび上がらせる。長い筆跡の先に生まれる微妙な線が、人の手仕事の温もりを物語る。

造るのは「人から求められるもの」

有田焼の歩みは、作り手が一方的に提案するのではなく、使い手の依頼に応え、その声を技術で形にしてきた歴史でもある。明治維新後、藩の保護を失った十代は、御用赤絵師の矜持を持ちながら生地づくりから上絵付けまで全工程を自ら担い、生き残る術を模索した。まさに、時代ごとに求められるものを粘り強く作り続けてきた軌跡である。

現当主である十四代は武蔵野美術大学で金工を学び、インテリアの会社勤務を経て、京都・鈴木治氏に師事。師からかけられた「我々がしているのは陶芸なんやで」という言葉は、自然素材と向き合う覚悟の大切さを今に伝える。

有田へ帰郷し、2002年、39歳で襲名。家督と同時に「人から求められるものを造り続ける」という400年の歴史が、彼の内側で点火した。依頼の声が作品を生み、作品がまた依頼を呼ぶ。「使い手が主役」という逆転の論理に彼は徹底的に身を委ねた。

“人と関わる”ことによって生まれる美

雪片を60度で刻む繊細な文様。そこに偶発的な“ズレ”が生まれるが、彼はそれを誇示しない。つまりズレを意識することなく、窯の火と同じくその「結果」として立ち現れるものなのだ。その美学を認識した今泉は、今や墨はじきの線描に白磁の清澄な「雪花墨はじき」や、周りの光を極限まで引き出す「プラチナ彩」といった新作を次々と展開。いずれも、代々培われた技法と、現代の美意識が融合した意欲作である。

使い手との協働が新たな美を生むことを、長次郎と千利休の関係にたとえる今泉。黒楽の茶碗は長次郎だけの力で造り上げられたものではなく、千利休との関わりの往復の中で美意識が高まった結果であるという洞察は、有田焼に限らず、ものづくり全般に通じる普遍の真理を示している。

あなた自身の感性がある

焼き物は、人間の思い通りにならない。薪窯の炎は、すべてを受け入れた上でこそ、艶やかな肌合いを生む。陶芸は自然との共同作業であり、その姿勢を忘れずに制作することこそが、真の伝統を生かす道だと今泉は語る。

「伝統は受け継ぐものではなく、常に今日の形をしているものです。私は十四代ですが、十四代“らしさ”など追いません。その時の注文、若い方の眼差し、その時の季節、その全部の“今”を焼き付ける。それだけです。

理屈だけを積み重ねると、いつしか人は判断を誤ってしまう、という話を聞きます。手足を動かし、汗を伝って得た感性こそ信じてほしい。五教科以外の時間、つまり体育、美術、音楽、そして恋愛や失敗。そこで得た感覚は教科書には載っていません。ものづくりの根幹を支える力がそこにあると思います」

400年の歴史がなお、灼熱の薪の窯から生まれる“今”という瞬間ごとに、静かに輝きを刻み続けている。今泉今右衛門は、その刹那を今日も覗き込み、時代の影を映す。

伝統は止まらない。

今泉 今右衛門

今泉 今右衛門 十四代

1962年佐賀県生まれ。幼名を雅登。1985年、武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科(金工専攻)を卒業。1988年に鈴木治氏のもとで修行を重ね、1990年に父の下で伝統技法を学び、本格的に制作を開始する。1996年日本伝統工芸展 入選を皮切りに、日本工芸会会長賞、佐賀銀行文化財団新人賞など多数受賞。2002年、今泉今右衛門十四代を襲名。2009年、紫綬褒章を受章。2014年に重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定。